メルボルンで【救急車】を呼んでしまったらw

ドライブオーストラリアの医療関係の思い出

こんにちはー!オーストラリアって救急車を呼ぶのにはお金がかかるのですよ。。
「日本の医療は素晴らしい」
というのはこのことも含まれていると思います。ということで、ある日、プライベート保険で「保険に救急車を呼ぶ」というオプションを付けました。契約後2週間は ”waiting periods” というのがあって、用は、正当な理由でよんだら支払うけど、大したことないことで呼ぶとまだ保険適用されない、という期間があるということでした。2週間を過ぎたら、症状関係なく保険適用されるみたいです。
そんなまさかの ”waiting periods” に人生初の救急車を呼び、ほろ苦い経験を思い出したので書いてみたいと思います。

異国の地で胃腸炎?

長男がまだ1歳になってまもないころ、当時はメルボルンにおりました。疲れからきたのか、ストレスからきたのか、胃腸炎と思われる症状がいきなりきました。吐き気、嘔吐がめっちゃつらくて、薬を飲んでも全然効かない・・。本当につらくて、ついに夜の9時ごろだったか、人生初の救急車を呼びました。5分くらいで来るかと玄関の前で待っていました。呼んだ直後、後から調べたら脱水症状からくるみたいですが、体がだんだん急激に固まってきて、まったく動かせない状態になってパニックになりました(泣)。救急車を呼んでいるのに待ってもこない。。目も見えるし、口は動くのですが体が動かない。。。10分、20分、、、玄関の前で倒れていました。。。そしたら自然にまた体がゆっくりですがちょっとづつ動かせるように戻ってきて、それとともにパニックモードも少しづつましになってきました。

あれから何分たっただろう。。。

救急車を呼んでから30分は経ってる。。本当に来るのだろうか、、、そもそもちゃんと救急隊員に知らせはいっているのだろうかと思っていたらやっと到着されました。そしたら、普通車でご登場(笑)。
「どういうこと!?」
って思っていたら、車の中から、救急箱をもった一人の女性隊員の方がお見えになり、第一声が、
「今日はめーっちゃ忙しいねん!救急車が一台も余ってなかったからこれできたわー!!今から診察するけど、あとからタクシーで救急に来れる?」←素人翻訳w
と言ってました(笑)

聞き間違えやろか?w

「わたしは救急車で行きたかったよーー!」と心では叫びながら、救急車が余っていないので、どうしようもない。。。とりあえず、手際よくその女性隊員の方が、血圧やら脈やらなんか調べてくれてて、その間、わたしはずーっとさっきの体の硬直の話を一生懸命伝えようとしているのですが、その時はもう体は戻って動くようになっていたからなのか、
「それは吐いてるからだよー!」
って軽くかわされておわり。。。でもわたしてきには人生初めての経験でめちゃくちゃ怖くて不安だったんですよね。。

自家用車で救急に行くことにw

一応、救急隊員の方がしてくれた検査はすべてオッケーで、その隊員の方が、
「わたしはこれから別の現場にいかんとあかんねん!君はいまから自分で救急にいくんやでー!じゃーねー!」
と言って、ご退場されました。。そのあとは元夫の運転で救急に行くことにしました。

救急についてからがまたまた長い

そこから救急外来に行くと、安定の超満員。
「何時間待つんやろう・・・。」
事前に救急車よんでいたとしても、救急外来にきたら、また振出しに戻った気分で関係なく待たされました。やっと呼ばれたのは7時間後くらいだったかなぁ。呼ばれてからも先生が来られるまでもさらに時間がかかったりとかとにかく待ちました。やっと先生にお会いして、またわたしはひたすら数時間前の恐怖体験を必死に伝えるのですが、このドクターも
「脱水したらそうなるよー!」
と軽やかに終了w
救急隊員のしてくれた検査や、病院でした尿検査がすべてオッケーだからオッケーということ。
「めっちゃ怖かったけど、た、たいしたことではなかったのか。。。な、ならよかった・・。」
結局お家に帰ったのは、もううっすら明るい時間。。。計9時間くらいかかったんではなかろうか。。。

なにか忘れていませんか?w

冒頭で説明した “waiting periods” の話を覚えていますか?(笑)
そう、救急隊員の方が、さっさとお帰りになっただけあり、わたしの症状は結果
「大したことないのに救急車呼びやがった」
のカテゴリーに入ったらしく、しっかり請求書きました。
呼んでしまったけど、、、

「来るまでに30分以上かかってたし・・
しかも来たん、救急車じゃなくて普通車やったし・・
しかも結局、自家用車で行って救急車乗ってないし。。。」

いろんな複雑な思いがありましたが、請求額550ドルくらいだった記憶しています。
ひょっとすると、そこで救急車に乗っていたらもっと高額になっていたのかも??どういう計算かよくわからないですが、なんともほろ苦い思い出です。